2010年10月アーカイブ

醜悪

小論文試験の後に昼食を挟み、受験番号の若い順に面接が行われる予定だった。
受験者達はトイレに立ったり、持参した昼食を席について食べたりしていた。
所々で会話をしている声がかすかに聞こえる以外は教室内に音はなく、ひっそりとした雰囲気だった。
 
私は田所さんと隣り合って座り、ここへ来る途中に買っていたコンビニのおにぎりとパンを食べた。
田所さんはお弁当を持ってきていた。
ここでも田所さんと会話が弾むことはなかった。
 
おそらく自分が田所さんに対して親しくならないようにバリアを張っていたのだと思う。
そこには自分と同じ短大の受験をしているということに伴うライバル視、
自分は合格しても彼女が合格することはないという勝手な思い込み
独りよがりの優越感、醜い感情の集大成があった。
私は醜い邪鬼にすぎなかった。
 
その後行われた面接に関してはほとんど記憶が残っていない。
面接が終わった順に帰路についたと思う。合否の発表は1週間後だった。
来週の今頃、私はきっと清々しい気持ちでこの夕日を眺めることになる。
この程度の学校に落ちるわけがないのだ。私はもっともっとレベルの高い学力を持っているのだから。
落ちるわけがないのだ。
帰りの電車の中で自分にそう言い聞かせていた。

引っ越し

結局我々一家がその家を出ることになった。
その決断を下すまでは母一人だけが出ていこうと、近所のアパート物件なんかも探していたらしいが、
そうなると父との離婚は必至であり、離婚となると自分にとっても子供にとってもメリットはないと思ったらしい。
結局離婚することはなかった両親の判断はもしかしたら、
まだ学生だった私にとってありがたいものだったのかもしれない。
 
住んでいた家から線路を渡って程ない場所に建つマンションに我々は引っ越した。
中途半端に近いため、引っ越した後も祖父母の暮らす家の前を通るたびに何とも言えない切ない気持ちになった。
 
当時の私は祖父母に対して恨みを感じていた。
新しい家に住めなくなった無念をどこかにぶつけたかったのだろう。
祖父母から家を「追い出され」「奪われた」と捉え激しい憎しみを抱いていたが、
母に対してはあまり怒りの感情は生まれなかった。
まだ母の庇護の元に自分はいるのだと自覚し、それに逆らうことは正しいことではないと思っていたからだ。
 
今思えば諸悪の根源は母であった。
とんでもない思い違いで祖父母を逆恨みをしてしまって申し訳ない気持ちだ。
しかしあの日以来祖父母とは疎遠になってしまい、祖父に関してはまともに話をする機会もないまま他界されてしまった。

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