{ かつて、私は子供で、子供というものがおそらくみんなそうであるように、絶望していた。絶望は永遠の状態として、ただそこにあった。そもそものはじめから。
だからいまでも私たちは親しい。
やあ。
それはときどきそう言って、旧友を訪ねるみたいに私に会いにくる。やあ、ただいま }
いきなり長い引用で始まってしまったが、以上は江國香織の『ウエハースの椅子』の冒頭部である。
この冒頭部をどう思うかで江國香織作品に対して読者が抱く印象はもはや決まってくるだろうかと思われる。あなたは冒頭部の文章に共感できただろうか。
私はとても難しいなと思った。
何がと言って、この作品全体を通して流れているのは拒絶感と美意識の塊だと感じたからだった。
再読してみると、冒頭部でなんだか頭蓋を揺さぶれるような、なんとも言えない断絶を感じる。もう、この作品に共感することは難しいかもしれない。
{ 小学生のころ、私はスパイごっこをしていた。小学校を、スパイごっこをしてやり過ごした。
スパイごっこについて、私は誰にも打ち明けたことがない。私は一人きりでそれをしていた。
どういうものかというと、私は大人で、スパイで、任務のために小学校に潜入している、というつもりになるのだ。そう思うと客観的でいられた。私はここに属しているわけではない、と思えた。物事が少し耐えやすくなった。私はそれを、小学校二年生のときに始め、六年生まで続けた。 }
また引用部だが、あなたは以上の部分に共感を持って読むことができただろうか。
私は理解は追いつくが、やはり共感までは難しいなと思った。
ここに描かれているのは、集団に埋没することができなくて、周囲を自分より劣ったものとして見ることで自分を守った孤独な女の子だ。
もちろん、それが駄目だとか良いとか、そういう問題ではない。
この物語の引用部の語り口を読んで、あなたは語り部(主人公)の年齢を何歳くらいだと捉えただろうか。語り部は三十八歳の女性で、この小説は「やさしい恋人(妻子持ち)」との恋愛を綴った物語だ。しかもここに綴られているのは、「完璧な恋」らしい。
この感覚は言ってみれば、一般社会と隔絶したという意味で、エキセントリックと呼んでも特に差し支えはないかとは思われる。主人公は自分が壊れていっていることを自覚しているから。
この作品は、文学として非常に丁寧に一定のペースを持って書かれている作品だと感じる。主人公の纏っている空気には、全くぶれがない。
それが苦しさを感じさせる。何がと問われれば、主人公の生々しさを強く感じるからだ。
小さな頃の一時の話、恋人の完璧さ、一人きりの部屋。それら全てを本当に近くで、リアルタイムで見せられているような気になってしまう。だからこそ、この作品は好き嫌いが極端に別れる作であると私は考えている。
少なくとも、この作品を読んだ人に感想を聞いてみたら感想は好意か嫌悪か、真っ二つだった。
最初に引用した二つの部分に拒否感を持たず、
{私の恋人は完璧な形をしている。そして、彼の体は、私を信じられないほど幸福にすることができる}
以上の文章に興味をもたれるなら、きっとこの作品はどストライクだろう。
だからいまでも私たちは親しい。
やあ。
それはときどきそう言って、
いきなり長い引用で始まってしまったが、以上は江國香織の『
この冒頭部をどう思うかで江國香織作品に対して読者が抱く印象は
私はとても難しいなと思った。
何がと言って、
再読してみると、冒頭部でなんだか頭蓋を揺さぶれるような、
{ 小学生のころ、私はスパイごっこをしていた。小学校を、
スパイごっこについて、私は誰にも打ち明けたことがない。
どういうものかというと、私は大人で、スパイで、
また引用部だが、
私は理解は追いつくが、やはり共感までは難しいなと思った。
ここに描かれているのは、集団に埋没することができなくて、
もちろん、それが駄目だとか良いとか、そういう問題ではない。
この物語の引用部の語り口を読んで、あなたは語り部(主人公)
この感覚は言ってみれば、一般社会と隔絶したという意味で、
この作品は、
それが苦しさを感じさせる。何がと問われれば、
小さな頃の一時の話、恋人の完璧さ、一人きりの部屋。
少なくとも、
最初に引用した二つの部分に拒否感を持たず、
{私の恋人は完璧な形をしている。そして、彼の体は、
以上の文章に興味をもたれるなら、